SANEMORIを観に行きました。

1/15夜の部のSANEMORIを観に行きました。

観劇自体も久しぶりだし、歌舞伎に至っては多分初めて。
だから、予習もした、ネタバレもたくさん読んで話の流れや見どころは頭に叩き込んだ。初めての歌舞伎、わかんないなぁぽかんで過ごしたくなかったので。余すところなく美味しく食べたかったから。でもまあ、それだけ色々してもそれでもやっぱり、幕が開くまで気持ちの大半を締めていたのは「宮舘涼太を初めて生で観に行く」ってことだったんだけど。

だけど、幕が上がって第一声が聞こえて、舞台の全景から双眼鏡を覗いたらもう、頭の中にあった意識は「私は今日SANEMORIを観に来た」に変わってた。

何を言ってるんだって話だよ。
ほんとそう。でもだ、でも本当にそう思ったんだよね。なんなんだろうあの感覚。頭ごとがっと掴まれて物語の空気の中に取り込まれるみたいな。

分析をするのならば、それは多分、歌舞伎特有の白塗りの舞台化粧のおかげで、宮舘涼太という存在の認識しづらさというのはおおいにあったと思う。そして、それだけじゃなくて歌舞伎の性質上ほぼ全ての人が、光量がたりなくても役柄をわかりやすくする代わりに、持ってうまれた顔の造形が分かりづらくなる化粧のおかげで、そこに立っているのは役者ではなく登場人物だっていうふうに受け取りやすくて、それ故に物語への没入感が……いや違うんだ、私が先にしたいのはこの話じゃない。

まずは、SANEMORIという歌舞伎の舞台が、とても良かったという話がしたかった。
源氏の白旗を巡る、矜持と覚悟と一族への愛情の物語。
どの人物を切り取って見ても、魅力的すぎる。

登場人物の年齢関係なくすべての人に想いがあり、行動力がある。
んんん、駄目だどこから話していいのかわからない。なので、とりあえずこんな感じ。

 

 

登場人物について

とりあえず、わからないから人中心に。

 

[義仲]
気合とやる気に満ちすぎて溢れ出て、それが周りの家来に伝播しているような人。多分繁忙期に四徹したあと高尾山登ってバーベキューして大量の肉焼いて食って下山したあと麓の温泉入って卓球した挙げ句徹夜でカラオケできる。しかもずっと笑顔。最後に楽しかったーーー!!って大の字で寝て半日死んだように寝る。
どう見ても負ける気がしない。戦場で負けるイメージが湧かない。それぐらいに気力に満ちた人だった。
巴御前となんかすごくいい雰囲気だったのに今回はそこまで語られなかったかもっと知りたい。幼馴染ってwikiでみた。
そう、巴御前に関しての態度もなんだけど今回の話においては女だからどうこうってことは言わず、ともに戦おうみたいなことを言っていて、義仲かっけえなあ!!ってなった。

あと、あんなに妥当平家で一騎当千ぶりがすごいのに。
自分のことを助けてくれた実盛に話し合いというか、こちらにこないかみたいなことを言うこう…情に厚いというか、でもあんまり計算できてなさそうな、義理と情に厚くていつか寝首かかれそうな危うさが良かった…、お父さんや小まん瀬尾の一族や親族への想いをこの人も引き継いでんだなぁと思うと同時にまだちょっと青い感じが…いいよね…。

私の義仲のここ好きポイントなんですけど。大詰めで、手塚がとった首が実盛だって気づいた瞬間のね、それまで戦場走り回って頼もしくて強くて若い理想の上司!みたいな顔だったのがさ、ぱっ!て、驚いて年相応よりももっと幼い顔に変わる瞬間が最高に好きでした。
張り詰めてたものが弾けて溶けたみたいな、素の顔っていうか、討ち取ってしまったことの迷いや怯えや後悔みたいなのが瞬間だけ垣間見えて、でもすぐ隠れて何かを飲み込んだみたいな、ひとりの人間木曽義仲に戻った顔、さいっっっこうだった。義仲の若さが垣間見えた瞬間でした。はあ……強い面だけじゃなくて弱さも持ち合わせてるの、役の人としての厚み、最高!

あと、全体的に宮舘涼太は感じなかったんですけど、最後に大旗ぶん回してるところは「あっ!宮舘くんだ!!!」ってなってなんかにこにこにしました。フィジカルの化身感がすごかった。知ってる人見つけた!!みたいな。


[手塚太郎光盛]
もしかして…君、主役では…?って二幕の終わりあたりからずっと思ってみてました。実盛が主役だし義仲もいるけども、大詰めの物語の筋に関しては彼が軸だった、よね??
もっと見たかったよ!!!実盛と戦ってるところ見たかった…、もうなんか首洗って炭が抜けたあとの表情見たかったよ…見えなかったよ席的に、悔しい…。
序幕で、義仲の片腕としてって言ったあとに他の四天王からまだ片腕としては〜みたいなからかわれ方して、ふふふほほえましいパートだな、ふふふって思ってたけど、もう全部伏線じゃん!!
大詰めの幕があいてすぐに、赤ん坊の駒王丸と太郎吉くんから義仲と手塚太郎光盛になるあのシーン最高に良かった、ああいう演出に私はとても弱い…。
小さい時に実盛に会ったこと覚えてるのも、でもあの時約束した内容はいざという時に思い出されなかったのすごく悲劇だなって思った。物語としてはしょうがないのかもしれないけど、その人だと気づかずに討取ったのはなんか、なんか、気持ちが計り知れねえ…母を殺した仇ではあるけども、でもさ、そうならそうと知って行動を起こしたかったよなあって。討ち取るにしろ、他の道にしろ、話すこととかあったよなあって。なんかもうめちゃくちゃ辛かった。
義仲の片腕であり、ちょっとお兄ちゃんであり…四徹したあとの義仲に最後までがっちりついていって、満足そうに大の字で眠る義仲にお布団かけて自分は部屋の隅の方で寝るような人だなと思う。


[腰元(ガールズ)]
きみらさ!!安産祈願したんだろうけどさ!!メイン旅行だよね??楽しんでるよね!?全力で!!好き!!!
ぬけまいるのあの猪鹿蝶の三人が頭の中を走っていきました。実際のあの場面がどういうところだったかちょっと分からなかったけど、あの花道の背景、がやがやしてて楽しそうなところだったなあ。賑やかな城下町に見えたんだけどあってたかな…。
あとさ、絶対、旅の途中の団子屋で団子食べながら、「奥方様にも食べさせたかったわねえ」「そうねえ、でもいいのよ。義賢さまと今頃おふたりでゆっくりしてるわよ」「そうよねえ!水入らずよねぇ!」「何よ普段あたしたちが邪魔してるみたいな」「このうるささは確実にしてるわ」「でも聞いてこの前奥方様ね」とかきゃいきゃいしてそう。(今回は違うけど義賢最期の方はガチの病じゃないって聞いたので)
もしもあの日からしばらく平穩だったら、葵御前へのお土産はたくさん買ってるし、土産話もたくさんして、しすぎて葵御前に困った顔されてる。


[じいちゃん&ばあちゃん(九郎助&小よし)]
娘に先立たれたのほんと…ほんと……………。亡骸が運ばれてきたあたりからの心中お察ししたくないぐらい辛さがこっちに向かって飛んできてさ…じいちゃんの悲しみより強い怒りと、ばあちゃんの怒りを超えた悲しさと…もうなんか…やだぁ…。
太郎吉が拾ってきた腕を葵御前が産んだことにしようと芝居打ち始めた時はどうしてくれようかと思ったけどさ、実盛も流石に困るよ???なんで行けると思ったの、いやそれしかほうほうなかったんだろうけどさ!?!?
でもなんだろ、一農民だったけど育てた娘が源氏の家来の嫁っていうのと葵御前をかくまったっていうのでものすごく強い覚悟というか想いがこの二人にも生まれていて、身分は違えどその内に燃やしている火とか気持ちの高潔さとかは変わらんのだなと思いました。
にしても、育てた娘殺されるの辛すぎるでしょ…腸煮えくりかえるのに理由が理由だから100%否定できないのが嫌すぎるし、そうまでして白旗を守ったことは誇れるけど、どうしてお前がこんな目にって、どこに怒りぶつけていいかわからんもんね…。
二幕と大詰めの間の時の流れてる時に何かいいことがあって欲しい。海辺で金の詰まった財布拾うとか、いやそれは違う話だけど。


[小まん]
よっ!!強え女!最高だぜ!
実は夫が源氏の家来だって分かったあとに、それなら私もその意志を持とうって葵御前連れて白旗託されて、体現通り死力を尽くして戦ったのかっこよすぎる。塩見忠太との白旗を巡る戦いの時に、白旗をうばったあとに「あらあらごめんなさい?うふふ」って塩見を見て言うの最高に好きポイントでした。
もう、強すぎる。巴御前を表す時の言葉の順番が、武芸に秀でるし内面申し分ないの順なら、小まんは内面申し分なさすぎて結果立ち回りにそれが反映されてるみたいな。女形特有の型なのかな、敵との立ち回りが綺麗で、必死で戦う中にも余裕を感じる瞬間がたくさんあって「姉さん!かっこいい!!ついてきます!」って感じだった。琵琶湖を泳いで渡って逃げるって強すぎるだろ…着物やぞ…気力でカバーして体動いてるのかっこよすぎ、主人公か。絶対に専用の特殊エンドあるタイプの人。
腕を切り落とされたあとも旗を握っている手が離れないの、なんとなく弁慶の立ち往生を思い浮かべて、誰かや何かへの強い想いの繫がりを感じました。
小まんさあ…絶対に朝太郎吉が起きなくて布団転がして起こしたことあると思うの。いいお母さんであり、いい妻であり、強い忠義を持った源氏の人だった…。


[太郎吉]
ねえ!もう!好き!
お父さんに会いに行く楽しい旅行が一変して、巻き込まれて、お母さんが殺されてしまい、最後には自分の血の繋がったおじいちゃんの首を落とすっていう。人生のクライマックスなの?ってぐらいの壮絶さをあの年で体験してしまうの何…。
双眼鏡で見てたんだけど、もう、演技が、表情が、もう、しんどい、すごい。お母さんの亡骸にすがるのもそうだし、涙をねひと粒ずつこぼしながら、実盛か瀬尾に立ち向かっていくの本当に綺麗だった。大泣きじゃないのひと粒ずつなの。それが、まだこんなに幼くても自分の悲しみより立ち向かう方に気持ちがいっている事、あの小まんの血を継いだ子だなぁと思って、その姿勢がとてもかっこよかった。そりゃあの手塚太郎光盛になるよ。

お母さんのさ、絶対白旗を離せない腕をさ「僕なら取れる!ほら見ててね、一本、二本」って指を一つずつ開いていくところ。子供特有の謎の満ち溢れた自信のシーンでふふふってなってたら、イヤホンガイドで「自分の子供の太郎吉だけがその腕を離すことができた、それもドラマチックですね」みたいな、確かそんな事を教えてくれて、「たしかに!!!」ってなりました。
まだ見ぬ息子へ想いと白旗を託した義賢と同じく、親から子へ白旗が渡っていくのがなんとも壮大で良かったなぁ、ずっと悲しいけど。
葵御前の出産をとてとて見に行っては元の位置に戻される、笑いの定番の型やってる時、2度目に観に行ったの観たいのもあるけど実盛おじさんにかまってもらいたい気持ちもちらっと見えてとても可愛らしかったです。
その後地獄だったけどね。
おじいちゃんの首に刀当てて眼の前で落とすて…古典ならではの重くるしい辛いシーンで、時代性なのかな、古典の芝居ジャンル問わずってこういう子供にも重いシーンもってくるの結構あるよね…。
表情がさあ…泣いてるんだけど、母ちゃん蹴飛ばした相手でにくい気持ちも少しあるけどでもおじいちゃんだという人を、いやそもそも人間に手をかけてしかもあんな方法でさあ。でも逃げないんだよねえ、ちゃんと立ってるの。すごく強い子だった。


[義賢]
愛の人だった。とにかく愛の人だった。
実盛もまたそうなんだけども、義賢の、覚悟を貫き通して守りたいものを守り抜くっていう。
SANEMORIの中の系列だけで言うなら白旗というバトンの第一走者なんだけど、一人目の覚悟と決意がとんでもない熱量で演じられていて、物語の中に首根っこ掴まれて引きずり込まれた。
一人で屋敷に残って大立ち回りして、葵御前達が逃げるまでの時間稼ぎをしてるのさあ……。広いお屋敷で周りは敵だらけ切っても切っても湧いてくる。もう体力なんてなくて、気力も底をつきそうで、でも源氏の為に、妻とまだ見ぬ子供の為に戦い続けるっていうその覚悟がとにかく壮絶だった。
孤軍奮闘して、必死の形相で義賢が戦うほどに葵御前の事を思ってしまうぐらいに物語に引き込まれた。
多分今逃げて逃げて途中で振り返ろうとしてでもそんな暇はない、今は子供を無事産むことが私の戦いだって歩いて言ったんだろうな、きっとそれを義賢もわかっているしお互いの距離はどんどん離れても心はずっと繋がっているような、そんな、そ……なんでや…なんでこうなってしまったん…

最期には、お家のことを云うんじゃなくて自分の子供に会えなかったのが心残りだなっていうその、最後に一人の親として、人間らしさを見せるのズルすぎる。好きになっちゃうじゃんそんなの。絶対にいいお父さん、でも怖いでも優しい、そして、いい上司。
後ろから羽交い締めにされた時に、自分ごと相手を貫くじゃないですかその時にね刃を握るんだよね両手で。自分ごと貫こうとしてるってことは、そもそも死ぬ覚悟はあるんだけど、刃を握るって本当にもうこの先刀は振れなるからダメ押しの決意となりふり構わず動いてる感じに見えて、命の終わりをここで決めたって瞬間の覚悟と、ああもうこれで最後だっていうのを叩きつけられるみたいなすごいシーンだった…。刺し貫いても動いてたけど、人間の信念てすごい。

そう、これも良かった。葵御前をね逃がすわけじゃないですか。その時にね二人で言葉を交わすんだけど、葵御前が「もし生き延びたら…生き延びてくれますよね」みたいな少しの期待を込めて戻ってきてくれますよねみたいな、駄目だとはわかっているけどでも聞いてしまうみたいな台詞があった気がするんだけど、その返答が「丈夫な子を産んでくれ」なのがさあ、もうさあ、何その返事、泣いたわ。1ミリも期待させないの。自分はここで役目をまっとうする、これが本当に最後だって。武士とその妻なら覚悟はしていたはずだけどその言葉の重みが本当にすごかった…。


[葵御前]
凛としてた。どこまでも武士の妻だった。
序幕で逃げ延びないといけないとわかって、「葵」と名前を呼ばれて最後の別れを二人で話すところ。もうやだあーーーの気持ちでしかなかった、双方ともに武士として家長として、妻として次代を身籠っている者としての覚悟はあるのに、こんな愛がこぼれた悲しい愛のシーンなんてあるのかい。細かいやり取りは忘れちゃったのがとても惜しいんだけど。確か義賢が葵御前の肩に触れるまで少し間があって、逡巡してるのかなって願った記憶がある。
逃げなさいって言われて承諾したあとに、もう一度「でももしかして」みたいなニュアンスを含んだことを言っていたような気がして。行かなければいけない、この人はもうここで果てる覚悟だ、それでも、もしかしたら私を逃したあとに生きて逃げ延びてまた会えるんじゃないだろうかって、そこにああ、本当に葵御前は義賢のことを愛してるんだって。
九郎助一家に連れられて逃げるときも何度も何度も振り返って戻ろうとしてしまうの本当に辛かった、するりと腕を逃れて戻ろうとするところのこの、するりがすごく儚くてやってはいけないこととわかってても体が動いてしまうし、心の奥底では駄目なことだってわかってるのにしてしまう自分へのなんか悲しみというかそう言うのを妄想してしまって、涙出てしまったし、この場面があったからこのあとの大立ち回り見てても、思考の中心が葵御前になってて。いま必死で戦っている時に、葵御前も遠くへ遠くへ逃げているのかな無事かな大丈夫かな、みたいなことをずっと考えていて本当に気が気じゃなかった。

二幕の九郎助の家での葵御前。
もう顔つきというか背筋の伸び方というか覚悟がすごかった。自分の家の為に命をかけてくれた子まんの亡骸が眼の前にあってさ、子供と親二人がすがって泣いてるの。確実に自分達源氏のために命を落としているのはわかっているけど、ここで申し訳ないすまないって顔に出したら子まんにも申し訳ないからずっっと凛としてる。顔に動揺がでない。
でも、一度だけなにかの折に目をすっと伏せたことがあって、あああさっき行きたくないと何度も振り返っていた葵さんまだ心の何処かにいるんだあああってなってまた涙出てきました。
とても優しい人だったのかなぁと思う。それが、序幕を経て出産も近づいて、母として源氏を継ぐものとしての責任感をきっちり身に纏っていて、的確な言葉が出てこないんだけどその姿がとてもきれいで悲しかった。

太郎吉を家来にってなった時も、情に流されることなくきちんと家のことを考えて条件を出してたのもすごいなあと思ったのね。静かに強い人。
SANEMORIには強い女がたくさん出てくるんだけど、葵御前の静かな張り詰めたような強さがとても好きでした。


[塩見忠太(パワハラの人)]
子まんと白旗の奪い合いをした人で、一服の清涼剤だったのにそのあと背筋凍らせてきたの大好き過ぎた。
イヤホンガイドによると、そういう狂言回しみたいな面白い役柄担当の化粧に型なんだそうで、たしかにそう、張り詰めてた空気を和らげる、部下の手柄は私の手柄のあと、声を揃えての「パワハラ!」は、歌舞伎ってクスクスじゃなくて(声量は考えるけど)笑っていいんだ!って思わせてくれた人でした。子まんとの白旗の奪い合いもとても見事でおっちょこちょいみたいな動きで見事に声まんに旗取られちゃう。この時点ではまだ「あー癒やされるーー好きーー」ってなってたんだけど、このあとよ。
子まんを追って船の近くでその女は源氏方で白旗を持ってるっていうところの、底知れぬ怖さがすごかった。さっきまで観客を笑わせてた人がそういう目から光消えて怖いこと言うみたいなの大好物なのでここのシーン本当大好きでした。ひとり世にも奇妙な物語のきっかけ案内人みたいな…。本当に魅力的なおひとでした。


[実盛]
琵琶湖に護衛艇が数艇出てきた後、それより遥かに大きな御座船が出てきて度肝抜かれて息を呑んだんだけど、さらにそこにすっと立っている実盛を見て私よく大声出さなかったって思う。双眼鏡で覗く前から、うつく、しい…ってなってたけど双眼鏡越しに見えたお顔がそれは、それは、もう美しくて「ぎゃああ゛あ゛あ゛あ゛か゛っ゛こ゛い゛い゛」って心の中で絶叫しました。自分の目が、くわってかっ開くのがよくわかった。
あの、イケオジ、って、すごく良くって、まあ語彙は消えるんですけども、あの仄明るい湖面に月を背負って立つ実盛はかっこよすぎたし気高いというか透き通ってる感じの美しさの化身だったし、そうだ夜の静かな湖畔を体現したような姿でとんでもなかった。
なんだろ、内面をそのまま外見に持ってきたみたいな、本当にそんな感じ。錦もらってお礼言うところとかなんか、現代のドラマや物語でも見たことある、とんでもねえ板挟みの間でそんなことお首にも出さずにさらっと、感情一切表に出さないでやり遂げる。仕事できすぎて有能が歩いてますみたいな、かっっっっこいいい、好き。
九郎助の家での、荒々しい見た目の瀬尾との対比でさらに美しくて凛としていて、双方の役の見た目とそこから伝わるものの相乗効果がとんでもな、かっこよかったあ…………。

子まんの亡骸が運ばれてきた時に自分がやったことを改めて反芻するわけじゃないですか。源氏再興を途絶えさせない為とはいえ、敵でないどころか身を費やして白旗を持って逃げてきた女を切ったって事、目の前でその家族が嘆いていること。でも顔にはっきり出さない。非常に見えるといえばそうなんだけど、苦渋みたいなのが家族も瀬尾も見ていない時にちらりと見えたような覚えがある気がして。情に厚い人でもあるんだなと思いました。

二幕とにかくかっこよくて、一つ思い出すと芋づるでどんどこでてきちゃうんだけど。
たとえば、腕を産んだなんて嘘を迫真で信じ込ませようとするその真剣なんだけどもちょっとズレてる、いやそれですら真実に見せる自信というか風格とというか、何処かの場面の立ち回りの型か、戦いの身捌きを軽やかにやったところがあって、そこの滑らかさが絹か?何だあの手触りのよさはってぐらいのなめらかな動きで、形容できない美しさがとんでもなかったです。無駄がないんじゃなくて、見えない美しさを濃縮させてまとったみたいな滑らかさ…すごかったあ…かっこいい。
あと、やっぱり、つねつねはさ!!!反則じゃん???ねえ、ずるい。イケオジがつねつねするぞはずるいって。命はさ、一個しかないわけ。そうお戯れ程度に可愛いことを身構えてないところで言われると命は散るんですよ。
あと、太郎吉くんを見るその目がもう、ずーーーーーーーーっと優しいの。可愛くてしょうがない、未来を託すことが自分の中で明るい希望のようなものになってる、そんなぐらいに優しい目。そりゃつねつねなんて言うよね!?


[瀬尾]
壮絶。化粧は悪者を表す化粧だけど、立場が違うだけであの人は平家としてちゃんと職務を果たしてる人だから、私の中ではそこまで悪者感はなくて、怖い厳しい人だなあって気持ちの方が。そんな人だから、「腕を産んだ」って言われた時になにを思ったかはすごく気になるので教えてほしい。そんなわかりやすい嘘をつかれたって事は明らかに男の子を産んでるというかそういうことだし、一旦帰ったふりをしようと考えるにしろ、「腕が産まれた」っていうのを初めて聞いた時の気持ちとても知りたい。

あと、子まんが自分の娘だと気づいてからの行動がとんでもないなと思っていて。壮絶、義賢も鬼気迫っていたけど、それに輪をかけてすごかった。義賢と同じで自分の命をなにかの為に使うって行為ではあるけども、その命の使い方しようとする決意と手法をやりとげる気迫がとんでもない。
葵御前という源氏の人に、平家の血を継いでいる孫を家来にする為に、血族が平家にいるというのはやっぱり不安材料でしかないのだからどんな目に合うかわからない、それならば、にしろなんにしろ、自分で自分の首を落とすって。源氏の再興を願って、家族も含むけどどっちかっていうと一族の為に身を捧げた義賢と、自分の仕える平家ではなく、血族を思って身を捧げた瀬尾。二幕での実盛との対比の人でもあり、義賢との対比の比較でもあり…もっと知りたいなあ…瀬尾って他の演目にも出てくるのかな


[🐴]
すっっっっっっっっっごく馬。頭の動かし方がとんでもなく馬。
どうなってんだあの頭の動かし方。輪廻転生の何処かで馬の時があったんじゃないかってぐらいに馬だった。どんなに造形がすごくてもどうしても出てしまう張りぼて感がないの。
あれは馬だった。舞台上に馬引っ張り出してきてた。言うこと聞かないとこも可愛かったね、言うこと聞いてねいいところだから。
🐴…………………。

巴御前
舞台にすっと立って薙刀を構えるその姿をひと目見た時からファンでした。女武者で一騎当千の実力を持ち、義仲にも認められる巴御前、かっこよすぎるやろがい。立ち姿がとにかく「美」。客席を駆け回るときに一番後ろの通路を走ってこられるじゃないですか。私初めてアイドルが自分の近くに来てはしゃぐ気持ちがわかった気がする。「きゃああ近いいいい!!!」って5歳ぐらい若返った気がする。心の中で巴御前の団扇ふりかけた。でも悲しいかな巴御前の勉強をしていかなかったから、イヤホンガイドの力と目の前のアレコレをどうにか聞き取った情報しかないので、もっと勉強してから巴御前がでる他の演目見に行きたい…。
巴御前が出るこの演目がいつの時代から演じられていたのかわからないけど、当時の観客の中にも多分私と同じぐらいキャーキャー言ってる人はいると思う。
あと、義仲と幼い頃から共に研鑽してたってほんとですか、だから一番後ろの通路で背中を預けてたんですか??贔屓目なしでその実力を信頼している相手ってことですよね、やだ、もっと知りたい!

 

宮舘くんのはなし

康二くんがインライで言ってた、「感想を本人に伝えたかったけど、すごすぎて難しくて『いええぇぇぇい!』って言った」っていう気持ちめちゃくちゃわかる。わっかんねえの。なんて言ったらいいかわっかんねえけど、すごかった。

歌舞伎の型や舞、演技等々に関しての知識はゼロなので、歌舞伎としての感想は言えない。
でも良かったんだよ。すごく、良かった。

何にそんなに心を掴まれたんだろう、どの部分に特にそう思ったんだろうって考えると、それは観た人が口を揃えて言う「熱量」かもしれない。
本当にすごかった、とにかくすごかった。それは歌舞伎に挑むという気持ちが反映された熱量なのか、義賢と義仲の役柄が持つ熱量を演じたことが大きいのかはわからないけど、どう観ても何かを守りたい成し遂げたいという役の心情にぴったりのものだった。
でも、ただ熱量がすごくてよかったってわけじゃない。がむしゃらさは熱量に見えるし、必死さもそう見える。言い方悪いけどそれだけでも熱量って感じる。でももしそんな熱量だったら多分こんな風に「良かったなぁ…」ってしみじみ思えない。演技が雑だったり所作がぶれてるなあとか、立ち回りの動きが安定しなかったら違和感を覚えてその熱量をプラスの方向に受け取れない。
宮舘くんの演技は、そんな熱量を邪魔すものがなかった。何度でも言うけど私は歌舞伎の台詞回しや舞の型、立ち回りの所作のことは全くわからない、だから気になってしまう部分が少ないから違和感を感じることがなかったんだとは思うんだけど、それにしたって、演技というくくりで観た時にもその熱量の邪魔をするものがなかった。
一階の後方でもよく聞き取れる声。後から演者にマイクがついてないと聞いてびびった、舞台の前に収音マイクはあるとはいえ、腹式呼吸で大声出してする演技ってめっちゃ難しいと思う。
あれだけ豪快に立ち回っても体幹がブレずに動き続ける体。普段のダンスの宮舘涼太ならではのすごさは、私には舞台にいるのが義賢に見えていたからか片鱗が見えなかったんだけど、それでも端々がきれいに止まって動いて雑味のないすきっとしたきれいな所作だなあと思った。
白塗りの化粧の上からでも伝わる表情。歌舞伎って型や舞声の表現を大事にする芸術で表情って普段の演劇ほど見えないのかなと思ったら、立ち回りの型の舞にも気持ちや考えていることが伝わってくるような。だから余計に宮舘くんじゃなくて義賢と義仲に見えたのかも。
邪魔をするものがない、それどころか熱量にさらにブーストが掛かるようなだから多分、言葉にしづらいけどすごいことだけはわかるし、喉から感嘆詞が飛び出したくなるぐらい心を揺さぶられて掴まれたんだなあと思う。

これは熱量と演技からはちょっと離れるんだけど、宮舘くんのもつ代謝の良さゆえ、大量に汗かいててそれによって血の化粧の縁が滲んで本当に血みたいになっていくのと、汗が滴って、涙にも見えるのがより臨場感と熱量を体現してて良かったなあ。なんか上の方から見ると滴った汗で水たまりみたいのできてたって噂聞いたんだけど、それあれだよね、実際の畳の上なら汗と血でできる戦いの跡みたいなことだよね。
またちょっと話それるんですけど、TEAM NACSの本公演で安田顕さんが熱演した時に、汗・涙・鼻水・涎みたいな顔からでるもの全部出してぐちゃぐちゃになって役の感情を演じることがあって、メンバーからは安田汁と形容されてたんだけど。双眼鏡で義賢の大立ち回りを見ている時にそれをすごく思い出した。
大量の汗が、その汗のもとになる気迫が本当にそこに義賢がいる証拠のようになって、最期の最期義賢がまだ見ぬ子供に思いを馳せた時にも、涙が流れていたのかはわからなにけど涙が汗に紛れて「これは泣いてはいない汗だ、最後まで父は強かった」みたいなそんな風にも感じてしまうような。それが、演技から感じる熱量に更に拍車をかけていたように思う。

あーーなんかごちゃごちゃ書いたけど、本当に良かったなあああ。
義仲の討ち取られた武将の首があの実盛のものだってわかった瞬間の、武将ではない一人の人間としての動揺が見えたような表情。あれ本当に好きで、あああ、こんなに一騎当千の強者で若きリーダーって感じの人なのにそんな人間味も持ち合わせてる、いい男にそだったなあ…って。あの演技本当に好き。役を特徴特化のキャラクターじゃなくて厚みのある人にしてたの最高。
義賢の屋敷の場面で出てきたあとの第一声の声良すぎた。深くて低い、けどなんかちょっとのハスキーさで優しさが含まれてるの本当にいい声だった。宮舘くんの喉とあの声をいい具合に響かせて増幅させてる体ほしい。
あのぜーはーしてる呼吸音、あれを演技として出しながら立ち回るの普通に立ち回るよりも絶対に体力持っていかれる、酸素足りなくなりそう。なのに最後まで戦い切って止めるところはきちんと止めて演じきる宮舘涼太の鬼の体力すごすぎる。
そうだ、その激しい戦いの中、後半の戦ってる時にね刀を一瞬手放して浮かせてから、ぱっと掴むところがあったの。そこで、それ入れるの??すごない???ってびっくりした。決して戸板倒しのようなど派手な立ち回りではないんだけど、終盤の疲れてそうな部分で若干の博打を感じる動き入れるのすごいなって。

あと、共演されている方々のブログとかツイッターで日々進化してるみたいなのを言われていたんだけど。そうだよねえ、宮舘くんってそうだよなあ、そうなんだよ、そうだけどまた進化してるのかあすっげえなあって。
初日よりも慣れてきたからっていうのもあるのかもしれないけど、もともと頭の中に思い描いたものを自分の体で表現する時に体操縦するのが上手というか、いくら吸っても能力忘れないカービィみたいな。試行錯誤の努力を人よりも高速で積んで忘れないというか、本人が言ってる記憶力の良さもここにかかってくると思うんだけど。そんなすげえことができる人だと思っており。
つい最近のラヴィットEDで山添さんと言い合いしてる時、山添さんが意地悪いこと言ってボケるときと同じ顔してボケてるのもそれだよなあと思って笑ってしまったんだけど。
そんな宮舘くんだから、日々共演者の方の演技を見て、ダメ出しを頭に入れて直して、動きが体に染み込んでよりよく動かせるようになって、連日公演ならではの日々進化の姿になってるんだろうな。
もう一回観に行きたかった…その進化って普段は、舞台裏のものとして生というかリアルタイムで実感させてもらえるものではないと思うのでめっちゃ観たかった…

 

 

SANEMORIという公演と歌舞伎の話

歌舞伎って、すごく面白い。

SANEMORIを観終わってあれこれ考えてこれを書いて思ったことは、歌舞伎って物語の登場人物の感情を楽しむタイプの演劇だなって言う事でした。
それは主に2幕を観て特に思ったんだけど。現代劇に比べたら言葉数が限られているような気がして、だけど、一言一言がその人物のことをよく物語っているように思えたんですね。どの人物にも見せ場があるってイヤホンガイドでも教えてもらえたんですけど、だからこそ主役はいれど群像劇みたいな気がすごくして。それをすごく面白いなって思いました。この人はどんな人なんだろうっていうのが、型や舞からも伝わってくるし、表情とか全員すんってしてると思ってたけどそんなことは全然なくて、細かな目線や伏せ方から大きな表情の動きからすごく伝わってくる、それからさっき書いた通り台詞数が少ない気がするから寄り道する事なく感情が伝わってくる感じ。派手な立ち回りももちろんエンタテイメントとして面白いんだけど、それよりも人の気持ちがダイレクトに伝わってくる感じがたまらなくいいなあと思いました。

それで、そんな風に思えたのは今回のSANEMORIっていう芝居の構成等々のおかげだと思っていて。

今回って、宮舘くんはかなり現代語の言葉遣いに近いというかほぼ現代語の台詞回しなんですよね。
それは歌舞伎役者ではないから本来のものに寄せるとどうしても違和感が出てしまうから…なのかなって思ったんだけど、ああ、それだけじゃないなってプロローグを観て思いまして。
例えば、プロローグ、宮舘涼太演じる木曽義仲だけじゃなくて、手塚太郎光盛筆頭に周りの人も少し現代語に近い節回しだったり言葉遣いだったりする。それにくわえて、四天王達の笑いを誘う掛け合い(最終的にどでかい伏線だったことに後で気づいてはっとした)。平家方と相まみえての一騎打ちの「いざ!いざいざいざ!」みたいなリズムの良い掛け合い、そんでそこからの台詞回しは少なめで見ていてワクワクする派手な立ち回り。
この冒頭部分があまりにも「さ!みんな!これから歌舞伎が始まるよ!でも心配しないで難しくないよ、歌舞伎は面白いものだよ、だから緊張ほぐしていこうね」って言われてんじゃないかってぐらいに、初心者の両手を取った手厚く優しい構成だったから。


そして、そのあとに花道で腰元達が登場するシーン。歌舞伎の台詞回しでのお芝居なけど、歌舞伎初心者の多い宮舘くんやSnow Manのファンへ向けて聞き取れるし興味のある単語を織り交ぜてるのが、それまでよりはずっと歌舞伎の世界だけど少し現代の我々の方をみてくれてて、これから本格的に始まる歌舞伎の世界に向けてすっごいきれいなグラデーションで物語の世界に入り込めるようにしてくれてるなあと。
義賢の立ち回り中のあの観てるこっちが苦しくなってくるような呼吸も本来はああいう息遣いしないと思うんだけど、とっても現代的な演出だなあと思っていて。でもあの息遣いでわかる義賢の必死があったから、より物語の世界の当事者のような気持ちになったし、その後の子まんが白旗を守る部分の直前の「パワハラ!」とか急に現代語を入れての笑いも、言葉がわからないの中に私達でもわかるものを入れてくれて、緊張を解いてくれる。その緊張と緩和でより舞台に集中する感じがした。

そうそう2幕もかなりわかりやすく話してくれてるなと思っていて、特に九郎助と子よしが喋ってくれると「あ!聞き取れる!」ってなって先に行ったのと同じで言葉がわからないっていう緊張感が緩んでまた物語の中に入り込んで場面の展開にワクワクしていました。
それ以外にもたくさんたくさん、ありとあらゆる所や構成に「わかる!」を散りばめてもらえていて、全部が全部、歌舞伎を初めて見る人達が、目の前で繰り広げられていることに対してなるべく違和感がでないように舞台の内容に入り込めるように、肩の力を抜けるように構成されていて。
なんというか、伝統と正統よりも、初心者を優先した構成を目の当たりにして、これは…すごい作品に対峙しているなと思いました。
だって、襲名披露記念公演なんだよ。それでもその公演をここまで間口を広げて敷居を低くして、歌舞伎を知らない層に向けてどなた様でもお楽しみいただけます!っていうのがほんと、ほんとに…。SANEMORIの劇中でいろいろな人物が、守るもの繋げたいものの為に身を切りその身がどうなろうともという覚悟みたいな、それってまさにこのお芝居が存在してることじゃんって思って。
歌舞伎の公演を見たのはこれが初めての奴が言うことではないのはわかるんだけど、その物語の内で実盛がしていることと、物語の外でSANEMORIという芝居のあり方を考えて構成を考えて作り上げた團十郎さんの、内と外で内容は違えど覚悟と心の有り様は同じみたいな。
そんな公演を見れることができたのって本当にすごいことだなと思いました。

SANEMORI、いろいろなお話をわかりやすく繋いでもらった上に、いいとこ取りをたくさんしてもらっていたので、もうなんかね、それぞれの元の演目もみたいし今回登場している役が出ている演目があるのであればそちらも観たいし、もっと舞に特化したものもみたいしでこう、今鼻息が荒いです。もっと観たい!!がすごいの。

喋りたいこともっとあったので続けるんですけど、今回どこまでがSANEMORI仕様なのかわかんないけど、立ち回りのダイナミックさと殺陣の流れるような、でも止まるところは磁石かってぐらいピタッと止まる動きとか。

あと、拍子木と唄と生演奏。演舞場だからなのかわからないけど、オペラって舞台の前にオーケストラピットがあってなんだろこう、どちらかというと1階席だと見えづらい位置にいるんだけど、歌舞伎の場合ってがっつり見えるところに皆さんいて総合エンタテインメント感がすごかった。

大道具とか、あんなに具体的なんだなって言うのもちょっと驚いて、琵琶湖の場面すごかったなあ。護衛艇と座敷船の大きさの差がすごかったし、動きどうなってんだろうあれ。あと護衛艇が湖の上に乗ってるのがなんかリアルに見えるなあと思ったら、船底に水色が塗ってあってああだから馴染んでんだみたいなこと思ったり。
これは自分でもなかなかだなと思うんだけど、観てる時に現代だからできる演出が結構あったじゃないですか。紗幕の向こうに実盛が立っていてこの世とあの世を表現するときの証明含めた美しさとか。ああいうの現代だからできる演出だなと思って。それを観られたことを昔の時代の観客の人に「へへへ、いいだろ」ってマウント取ってる自分がいてだいぶ浮足立ってんなと思いました。

最後になんですが、演目の事前学習とイヤホンガイドの力を借りれば何も怖くない。
というか怖がる前に本当に面白いものなんだなってわかったので、もっと美味しく堪能できるように勉強して、また物語の世界に連れ込まれに行きたいなって、そんな風に思います。