「として」と「続ける」に関する独り言と最近のあれこれ


なにか書きたいなと思って、そうだこれについて書こうとか何度か思った。最近のだてラウに見るおもしろの可能性とか、不二家さんの広告のだてこじとか、だてこじって家族的な仲の良さを感じるよねとかラヴィットの京都二人旅最高楽しい大好きコンテンツだったねとか。書きたいなと思ったけど、結局エディタを開くことはなく、このまま年越すかなあなんて思っていた時のことだった。

どうしても書きたいことができた、書いておけば未来の私がきっと喜ぶはずだ。
なので、今回はそれについて書こうと思う。

書き終わって気づいたことは、結構な分量の割に言っていることは、
「明日からの毎日を頑張ろう」
ということだった。多分それ以上のことは書いてないし、完全に自分語りだ。
なので、正直それは読まなくていい。それで、その話以外のことも書いてあるからここからそっちにワープしてほしい。

 

 


ブログの話
何について書き留めようと思ったか、それは宮舘くんの11/15のブログでの一言についてだ。
ラヴィット、七五三の日、歌舞伎のお稽古の話という11月15日の出来事を書いてくれた中での「宮舘涼太として居続けようと思える一日だった」というような一言について。

その日のブログ、その一言が出てくるまでは本当にニコニコしながら一行ずつ読み進めていた。
これは比喩ではなくガチの顔面動く方のにこにこで、そんなマスクで隠れててよかったと思う状態は、その一文まで読み進めた時に、よくわからない感情が複数押し寄せてきて眉間にぎゅっと力が入る状態に変わってしまった。
先に言っておくと、喜怒哀楽の怒と哀の感情ではないことだけは確か。でもよくわからない複合感情に襲われて、ああこの感覚は文字に残しておきたいなと思ったことを強く覚えてる。だから、書こうと思った。

確か一番最初に思ったことは「ありがとう」の感謝の類で、
その次に思ったことは「この人はまだまだ進化し続けるんだ」の驚きで、
そこから先が複数の感情が入り乱れてよくわからなくなった。

ここからの話は私の感じたことと思った事の話だ。
人は、誰かが発信したものを目にした時100%その人の言いたいことをそのままの意味で受け取ることはできない。
これは絶対だ。誤読するし、行間を読むし、気づかないうちに邪推をするし、そこに至るまでの思い出を巡るし、他者からの情報を加味してしまう。だから、ここから書くことは全て間違いだ。読んだら忘れてほしいし、ばーーかぐらいのことも思ってほしい。鼻で笑うのもおすすめ。


私が多分一番心を握り掴まれたのがここだ
宮舘涼太として居続けよう』
この12文字。もっと分解するなら"として"と"続けよう"

『として』と『続けよう』。これは完全に誤用の方の"穿った見方"なんだけど。
宮舘くんは、アイドル宮舘涼太という存在を客観的に見ているのか?という憶測がひとつ。
周りの人に支えられている応援されている、それならばそれに答えられるように宮舘涼太という存在を怠らずに居続けよう。という憶測がひとつ。
自分を求められていることと、この場に居たいと思う気持ちが合致するのだから、宮舘涼太として居続けようという憶測もひとつ。
アイドルの宮舘涼太という存在と、一個人としての宮舘涼太は別の存在で、切り分けられていてそうであろうとしている。という1つ目に似た憶測。

このあたりの憶測が頭の中でぐるぐるして、そのまま胸に降りてきてそして鼻が少しツンとなる。

とりあえずもう一回ブログ読んできてほしい。
先にも書いたけど、文字通りそのままの意味で捉えたとしても、100%の理解は無理だから、大げさに言えばどんな意味で宮舘くんがあの言葉を綴ったのかは私には全てはわからない。でも、少なくとも私が立てたいくつかの憶測に共通することは『絶え間ぬ努力と成長し続けようという姿』だ。

何かを続ける為には行動を起こさなければいけないことは明白で、前に少し書いたのだけれど、今の時点でもうすでに、宮舘くんは常に新しい姿を見せてくれて毎度魅力を更新してくれる人だと私は思っている。
なのに、それを、改めて、もう一度、そう思ってくれるという。決意表明にも似た言い回し。
ありがとうという感謝やワクワクする気持ちと同じぐらい、そんなに走り続けてしんどくないかな、休憩する時はしっかり休んでねこれも正直とても思う。それからその気持ちと同じぐらい、いやもしかしたらそれ以上に、「私ってそれを享受できる立場なの?宮舘くんのように走り続ける努力をしていない私は、それを、宮舘くんのその努力の先にあるものを受け取れる立場なの?」みたいなことも考えてしまう。

ああ、これかもしれない。

私は宮舘涼太という人が好きだ。アイドルである彼のことしか見ていないのでそれ以外は知らないけれど、魅力を日々更新し続けてくれて、笑顔にさせてくれたり、疲れた時にその疲れがどっかにふわっと消えていくような何かをくれる。
ギブアンドテイクという言葉が世の中には存在していて。それを考えた時に、私は普段直接的な応援に近いことは何もしていない、享受するだけだ。アイドルという仕事である以上、求められるということはとても大事なことだから、宮舘涼太という存在を求めることがギブに当たるといえばまあ、うん、すっごく歯切れが悪くなるけどそうなのかもしれない。
見た番組や雑誌の感想を媒体に送る、番組放送時間にSNSで感想を言う、彼らの生み出したクリエイティブを全力で楽しむ、これは購入も含めての話。それも大事。とっても大事。

それを全てパーフェクトに行ったと仮定した時に、でもそれでもなんとなく後ろめたいような気持ちになるんだと思う。

きらきらと輝いていて、努力している人のことを、ああすごいな素敵だなと憧れや尊敬やそういう気持ちを持っているだけで、自分は彼と比べた時にそういう努力をしていないという点が、ものすごく後ろめたい。
だからといって好きだなあと思う気持ちをやめられるわけではないし、苦手意識を持って見なくなるわけでもない。
今日も明日も明後日もあいもかわらず宮舘涼太という人が私は好きだと思う。
かまいガチでお母さんからの手紙を灰汁を取りながら聞いていたら汗止まらなくなったとか、京都二人旅のラストで美味しそうにご飯を頬張る姿とかまじで愛おしくなったしその日の晩御飯は焼肉にした。あとなんか最近見る度にビジュアル良くなってない??こわい。何が起こってるのかわからん怖い。とてもかわいい。そう、こうやってすぐに脱線するぐらい。

だからまあ、もうわかりきってる事だけど。
自分も同じように分野は何かわからないけど毎日少しずつでも成長できるように、胸を張ってあなたのことが好きですと言えるように過ごせばいいんじゃねって、そういう話だ。
原稿用紙5枚分ほど書いて、やっと気づいたのは明日も頑張ろうだった。
うん、でも、そんなちょっと背伸びしながら生きる毎日の中でもらえる、かわいいなとか、かっこいいなとか、幸せだなあというのはとってもいいもののような気がする。

 

自分語りが過ぎたから。
最後に、ここ最近書こうと思ってかけなかったことをダイジェストで書いて終わりにしようと思う。

 

 

だてこじの話

これは、私が前に人のLINEのトーク画面をはてぶとして使ったときの話なんだけど。
だてこじの仲の良さって、家族愛に似たものなんじゃないかなあみたいな事をちょっと考えた。

それは、1時間目的地を作れずに散歩した果てに多分焼肉一緒に食べたとか。康二くんがSnow Manの中でボクのことを一番好きなのはだてさんって言ったとか(その後自分と言い直していたけど)。ラジオで”俺だてさんに懐いてるよな?”って言うとか。そういうエピソードがあるのに、意外とお互いに誰かと遊ぼうとか電話しようってなった時に誘う順番が片手で数えられる順番の中に入ってないような感じがするとか。
でも、そういう相手でも、目的地なく散歩しようで集まって結果目的地を作れず1時間あるき続けられる相手なんだよなあ。
それってほんと、まーーじで仲いいじゃん。LINEではなんかもっと細けえこと書いたけど、これ以上細けえこと書くとそれはもう憶測通り越してなんか邪推の粋にまで達しそうだから書かない、けど、ほんとまーーーーじで仲良しだなあいいなあ、羨ましいなあの気持ち。

 

 

最近のだてラウに見る笑いの可能性の話

笑いというもので見た時に、宮舘涼太という存在はめっちゃ料理しがいのある食材だと思っていて。
食材故にそのままでも面白いけど、調理をすることで面白さが十二分に引き出される。康二くんが面白いのにもったいない!芸人さんがほっとかないのに!っていろいろ引き出すように駆け回った結果が今の状態だったり、ラヴィットで川島さんが美味しく美味しく調理して面白さを引き出してくれたり、山添さんが二人旅でゲスキャラが薄まってしまうぐらい手厚い感じで面白さを引き出してくれて最高だった。

で、話したいのは上記のパターンではなくて料理人として宮舘涼太が動いた時の話だ。
そうなった時にグループ内で宮舘くんがやりたい笑いを一番的確に理解してくれるのは、康二くんではなくて実はラウールだと思っている。あの、受信エラーだのなんだのあった二人が、実は一番お笑いの方向性が似てる気がするのだ。
宮舘くんってわりと言葉を駆使した笑いを作ろうとすることが多い、そして、ラウちゃんも割りと言葉遊びとかそういうのによく気づいたり、そういう旨の発言をすることが多い。

以下すのちゅーぶからの参考資料

■ラウちゃんによる言葉遊び

Snow Man「Snow Labo. S2」ユニット曲Music Video鑑賞会」
阿部ちゃんがラヴィット組がうるさい中で「バランスを取ってしゃべらないようにしていた」という事を言った時に「確かにバランすのダンスだもんね」みたいな言葉遊びをする。

Snow Man「Snow Labo. S2」ユニット曲Music Video鑑賞会 - YouTube

Snow Man【2番目って素晴らしい】地球より太陽ってデカい?」
正解であるサイという回答に対して、真ん中にンを足したら三位になるからお題にふさわしくない。という

Snow Man【2番目って素晴らしい】地球より太陽ってデカい? - YouTube

Snow Manアイマスク王選手権」視覚がなくてもわかる!?」
瞬間的にでた「道の履き違え」

Snow Man「アイマスク王選手権」視覚がなくてもわかる!? - YouTube

■ラウちゃんによる宮舘くんのお笑いの意図把握

Snow Man【帰って来た阿部ちゃん先生】決して大喜利ではございません!!」
武家諸法度と帽子の関係性に関する補足説明

Snow Man【帰って来た阿部ちゃん先生】決して大喜利ではございません!! - YouTube

■宮舘くんの言語系の頭の回転の強さ

Snow Man「擬音王決定戦」我々は表現者です!エグエグ!!」
とにかく回答速度が以上に早い。ワードからの連想力というか、一つの単語に結びついている他の単語を引き出す能力がすごい。

Snow Man「擬音王決定戦」我々は表現者です!エグエグ!! - YouTube

ざっと思い出したのだとこんな感じ、よくよくみたら多分これ以上にあると思う。
康二くんは、言葉遊びをしてない時の宮舘くんをおいしく面白くするプロフェッショナルで。ラウちゃんは、テクニカルなことをしようとしている時の宮舘くんをおもしろくしてくれる逸材だと思ってる。

だから、この先。だてラウの二人がもっと笑いの連携を取れるようになったらちょっと怖いことになるのでは?と思ってる。
ラジオなんて二人でやった日にゃあ軽い漫才みたいになる気がするし、番組のコメントでもお互いの面白さを補完し合ってどっかんどっかん笑い取れるんじゃないの???なんて思うのだ。
だてラウ、ここ最近なんかめきめき距離が縮まってるように見える(あくまで見える実際は知らない)二人のこの先が楽しみでしょうがないのだ。

 

 

ラヴィット京都二人旅

ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーもうさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
最高じゃなかったですか?いや最高だったよ。まごうことなき最高傑作だったよあの旅行ロケは。
何がって、全部だよ。全部。お化け屋敷にぶちこまれる山添さんが不憫だったことを除いて全部良かった。怖いもんはこええんだよ。やめたれ。
なんか、いつものロケと違うなって思ったのは序盤も序盤。「背ぇ高いんすね」とか灯台下暗しとは?からの「思ったより言葉知ってるんですね」「そやろだて様よりちょっと上ぐらい知ってんねん」みたいなやり取り。え?こんなやりとりなんか康二くんとしかしないじゃん???まって、だってトキさんにもしてないし、他の人芸人さんにもしないし、え?そんないつの間に仲良くなったの??ってちょっといや大分混乱した。
その後の人力車に乗って竹林を走ってる時とか、まじでただ京都旅行楽しんでる旅行者だったし、なんかもう、全部よ。わかるよね、だってここまで読んでる人はあの二人旅前編後編それぞれ二回は確実に見てるでしょ?
ちょっと頭抱えちゃう。

人見知りと自分で言ってる宮舘くんが、あんなに楽しそうにメンバーが誰もいない所でロケしてる姿がさあ、ほんと、なに。もうみんないい人だったんだなあ。よかったなあ。嬉しいなあ。いつか康二くんが言っていた「だてさんのことを好きな人全員が俺は好き」の気持ちがめちゃくちゃ良くわかる。
ラヴィットにおける全員の弟分的な感じで接せられる宮舘くんを見てるとニコニコするし、たまに映るスタッフさんとかがにこにこしてるのもめっちゃ嬉しいし、宮舘タイムで笑い声がガンガン入るのもマジで嬉しい。
話がそれた。
とにかく、だてこじが好きな私としては。康二くんにするような態度を取る宮舘くんがとにかく新鮮だったのだ。
事前にどんな打ち合わせをしたのかはわからないし、ボケとツッコミや笑いの取り方の方向性を事前に取り決めたのかもしれない。でもなんか、普段使わないようなワードでのツッコミや反応が用意されていたものだとしても、それを言葉にした時の雰囲気が無理してる感じがしなかったのだ。多分、あれは信頼関係みたいなやつ。ここまでは言っていい踏み込んでいいみたいなのがわかる相手にできるやつな気がする。ねえちょっといつの間にそんなに仲良くなったのよ。
ちょっともう一回みたいから、またロケ行ってきてほしい。もっかい京都でもいいし、遊園地でも動物園でもどこぞの行楽地にぜひ行ってください。なにとぞ、よろしくお願いします。

 

不二家交通広告のだてこじ

今年のクリスマスケーキは不二家さんで買います。食べます。
ありがとうございました。頭が上がりません。

あーんでもなく食べさせ合いっこでもなく、いちごを狙う、いやあげないっていう仲良しの喧嘩みたいな構図にしてくれまじでありがとう。大好きですその構図。
広告において商品をきちんと見せることってとっても大事だと私は思うんです。そのなかで、宮舘くんのショートケーキっていちごがあるとないとじゃデザイン的な見え方が全然違うんですよ。
なのにその商品の見栄えのイメージよりも、いちごをあげるあげないしているだてこじの楽しい雰囲気を優先してるの。
これってつまり、商品の美味しさを伝える担当組ではなく、商品を購入したことによる高揚感とか、ケーキを食べることで生まれる価値の創造を消費者に提示する広告担当のうちの一組がだてこじだったってことなんです。

ここからはこじつけ!
あの交通広告は動画じゃなくて、写真。一瞬を切り取ったものなんですよ。だから正直楽しさってなかなか伝わりづらかったりするものだと思うのです。ケーキの箱を開けてわあ!ってなってるご家族の写真を見てもいまいちピンときづらいみたいなそういうやつ。でも、あの広告は明確にSnow Manのファンを狙った広告なわけで。ということは見に来るのも当然ファンの人が多いわけで、その中であのキャッキャ騒ぐみたいな楽しい雰囲気の提案担当として選ばれたコンビがだてこじの二人だった。ってさ、それって、なんかめっちゃ嬉しくない?その構図はこの二人が担当するのがより効果的って思われたってことでしょ。
えーーーうれしい。
ありがとうございます。今年のクリスマスイブとクリスマス両方不二家のケーキ食べます。
だてこじのも気になるけど、一番はラウちゃんのあのでかいやつがいいです。抱えて食べたいです。

 

以上!